社内規程やコンプライアンス文書の解釈にAIを使うことは、もはや珍しい取り組みではなくなりました。

しかし一方で、「その回答は本当に正しいのか」「どの規程を根拠にしているのか」「改定前の古い情報ではないのか」といった不安を感じた経験がある方も多いのではないでしょうか。

とくに法務・人事・コンプライアンス領域では、AIの“もっともらしい回答”が重大なリスクにつながるため、単なる検索や要約レベルの仕組みでは限界が明確になっています。

現在、社内規程解釈AIは「検索するAI」から「論理的に推論し、根拠を示すAI」へと大きな転換点を迎えています。

本記事では、GraphRAGやHalluGraph、Time-Travel RAGといった最新技術を軸に、なぜ今“根拠提示”と“最新性担保”が設計の中核になるのかを体系的に整理します。

AIの専門家や実務で導入を検討している方に向けて、技術・法制度・実装戦略を横断的に理解できる内容をお届けします。

社内規程解釈AIが直面してきた信頼性の壁

社内規程解釈AIが最初に直面した最大の課題は、技術性能以前に「信頼されない」という壁でした。2023年以降、生成AIを用いたPoCは急増しましたが、法務や人事の現場では本格導入に慎重な姿勢が続いてきました。その理由は明確で、**AIの回答が正しいかどうかを人間が検証できない**という構造的問題にありました。

とりわけ社内規程は、条文同士が相互参照し、前提条件や例外規定が幾層にも重なる文書体系です。スタンフォード大学の法的AI評価によれば、初期のリーガルLLMはベンチマーク質問の6件に1件以上で誤った内容を生成しており、しかもそれが一見もっともらしく見える点が、現場の不信感を決定的なものにしました。誤答が即コンプライアンス違反や従業員不利益につながる環境では、「たまに間違うAI」は実務では使えません。

信頼性を損なったもう一つの要因が、Naive RAGに代表される初期アーキテクチャです。規程文書を単純にチャンク化し、類似度検索で抜粋した断片を基に回答する方式では、**文脈が分断された状態で推論が行われる**ことが避けられませんでした。「前条に定める場合を除き」といった条文は、参照関係が切れた瞬間に意味を失い、AIは空白を埋めるように推測を始めてしまいます。

信頼性の障壁 現場で生じた問題 業務への影響
根拠不透明な回答 条文や規程改定履歴が示されない 法務担当者が再調査を強いられる
文脈の断絶 相互参照規定を誤解釈 部分的に誤った運用判断が発生
情報の陳腐化 旧規程を現在有効と誤認 是正対応や説明コストが増大

特に深刻だったのが最新性への不信です。規程改定の多い企業では、「その回答はいつ時点の規程に基づいているのか」という問いにAIが答えられないケースが頻発しました。DatabricksのRAG解説でも指摘されているように、検索結果に時間軸の概念がない場合、生成内容の正誤以前に前提が崩れてしまいます。**正しいが古い回答**は、実務では誤答と同義だからです。

こうした経験の積み重ねにより、現場では「AIは参考情報にすぎない」「最終確認は必須」という暗黙のルールが形成されました。一見すると合理的ですが、これはAIが業務効率化の中核に入れないことを意味します。社内規程解釈AIが越えるべき信頼性の壁とは、精度向上だけでなく、**なぜその結論に至ったのか、そして今も有効なのかを説明できないこと**そのものだったのです。

Naive RAGが法務領域で通用しなかった理由

Naive RAGが法務領域で通用しなかった理由 のイメージ

Naive RAGが法務領域、とりわけ社内規程やコンプライアンス文書の解釈支援において通用しなかった最大の理由は、法務文書が持つ構造的特性と、Naive RAGの設計思想が根本的に噛み合っていなかった点にあります。2023年の生成AIブーム初期、多くの企業が「とりあえずRAGを組めば使える」という期待のもとで導入を進めましたが、実務では早期に限界が露呈しました。

第一の問題は、法務文書特有の相互参照構造を扱えなかったことです。社内規程では「前条の規定にかかわらず」「別表○に定める等級」など、条文同士が前提関係を持つ記述が頻出します。しかしNaive RAGは、一定文字数でチャンク化された断片を類似度だけで検索するため、参照先の条文が同時に取得されないケースが多発しました。その結果、条文の一部だけを根拠にした回答が生成され、文脈を補う過程でAIが推測を行い、ハルシネーションを引き起こす温床となりました。

第二に、質問の抽象度と取得情報の粒度が一致しないという問題があります。例えば「育児休業の条件を教えてください」という問いに対し、本来は就業規則、関連規程、労使協定、経過措置までを横断的に整理する必要があります。しかしNaive RAGではTop-Kで取得される数個のチャンクに情報が限定され、制度全体を網羅できませんでした。スタンフォード大学の調査でも、法務ドメインのRAGでは部分的に正しいが全体として誤解を招く回答が多いことが指摘されています。

観点 Naive RAGの挙動 法務実務での影響
条文参照 チャンク単位で分断 前提条件の欠落による誤解釈
網羅性 類似度上位のみ取得 部分的真実に基づく回答
更新対応 最新・旧版の区別が曖昧 陳腐化した規程の提示

第三の致命的欠陥は、情報の最新性を保証できなかった点です。社内規程は頻繁に改定されますが、Naive RAGではベクトル化された過去データがそのまま検索対象に残りやすく、施行前の規程や失効済み条文が回答に混入するリスクを排除できませんでした。これは単なる精度問題ではなく、コンプライアンス違反や従業員不利益に直結する実務上のリスクです。

さらに重要なのは、Naive RAGが「検索結果をそれらしく要約する仕組み」以上の役割を果たせなかったことです。法務現場では「なぜそう言えるのか」「どの条文に基づくのか」が常に問われますが、Naive RAGは根拠提示の厳密性を設計段階で想定していませんでした。そのため、回答の正当性を人間が検証するコストが下がらず、結果として「使われないAI」になるケースが相次いだのです。

このようにNaive RAGは、法務領域に求められる論理的一貫性、網羅性、最新性という三要件を同時に満たせませんでした。法務AIが単なる検索補助ではなく、実務インフラとして機能するためには、Naive RAGの延長線では不十分だったという点が、2024年以降の企業導入の失敗から明確になったと言えるでしょう。

GraphRAGとAgentic RAGがもたらす推論能力の進化

GraphRAGとAgentic RAGの登場は、RAGを単なる情報補完の仕組みから、推論そのものを担うアーキテクチャへと進化させました。従来のRAGが「関連文書を集めて要約する」段階に留まっていたのに対し、これらはなぜその結論に至るのかを論理的に説明できる能力を獲得しています。

GraphRAGの本質は、テキストをエンティティと関係性の集合として再構成する点にあります。社内規程であれば、主体、条件、例外、参照条文が知識グラフ上で接続され、AIは複数の条文を横断しながら推論できます。MicrosoftやNeo4jの実装事例では、このマルチホップ推論により、複雑な法的質問への正確性と網羅性が従来手法比で20〜70%向上したと報告されています。

例えば「特定手当の支給可否」という問いに対し、直接の条文だけでなく、定義条項や別表、例外規定までをグラフ経由で辿り、暗黙的な結論を導ける点が大きな違いです。これは人間の法務担当者が行う思考プロセスに近く、検索ではなく推論と呼ぶにふさわしい挙動です。

観点 Naive RAG GraphRAG
情報構造 テキスト断片 エンティティと関係
推論能力 単発参照 マルチホップ推論
説明可能性 低い 高い

一方、Agentic RAGは推論プロセスそのものをタスク分解し、複数のステップを自律的に実行する設計思想です。質問を受けると、検索、仮説生成、検証、再検索といった工程をエージェントが順序立てて実行し、必要に応じてGraphRAGの知識構造を参照します。スタンフォード大学などの研究では、このような段階的推論が、条件の見落としや論理飛躍を大幅に減らすことが示されています。

重要なのは、Agentic RAGが誤りに気づき修正する能力を内包している点です。途中結果に矛盾があれば再検索を行い、根拠が不足していれば追加情報を要求します。この自己監査的な挙動は、法務やコンプライアンスのような高リスク領域で特に価値があります。

GraphRAGが「構造化された知識の地図」だとすれば、Agentic RAGはその地図を使って目的地までの最適な経路を探索するナビゲーターです。両者の組み合わせにより、RAGは単なる回答生成を超え、信頼できる推論エンジンとして実務に耐える水準へ到達しつつあります。

ハイブリッド検索が規程横断理解を可能にする仕組み

ハイブリッド検索が規程横断理解を可能にする仕組み のイメージ

ハイブリッド検索が規程横断理解を可能にする最大の理由は、AIが「意味」と「正確性」という相反しがちな二つの探索軸を同時に扱えるようになった点にあります。社内規程の解釈では、曖昧な自然言語の問いと、条文番号や専門用語といった厳密な記号情報が混在します。どちらか一方に偏ると、必ず見落としや誤解釈が生じます。

従来のベクトル検索は、質問文と意味的に近い文章を広く拾える一方で、「第12条第3項」や「管理監督者」などのピンポイントな指定に弱い傾向がありました。逆にキーワード検索は、用語が一致しなければヒットせず、表現ゆれや言い換えに対応できません。ハイブリッド検索は、この二つを統合することで、規程を横断した理解の土台を作ります。

検索方式 得意な点 規程解釈での弱点
ベクトル検索 意味的類似性の把握 条文番号や厳密条件の取りこぼし
キーワード検索 正確な語句・番号指定 言い換えや抽象質問に弱い
ハイブリッド検索 意味と正確性の両立 設計が不十分だと順位制御が難しい

2026年時点では、Elasticが提唱するハイブリッド検索設計が事実上の標準となり、Dense RetrievalとSparse Retrievalを並列実行し、Reciprocal Rank Fusionによって結果を統合します。これにより、「育児休業中の賞与はどう扱われますか」という抽象的な質問でも、就業規則の定義条項、賃金規程の例外条文、附則の経過措置までが同時に候補として浮上します。

重要なのは、検索結果が単なる一覧ではなく、後段の推論に耐えうる網羅性を持つことです。Microsoft ResearchやNeo4jの報告によれば、ハイブリッド検索を前提としたGraphRAG構成では、規程をまたぐ質問に対する前提知識の欠落が大幅に減少し、推論ステップの失敗率が顕著に低下しました。

さらに日本語規程特有の課題として、漢字表記の揺れや同義語の多さがあります。「懲戒」「制裁」「処分」といった語は文書ごとに使い分けられますが、スパース検索で法的に重要な語を確実に拾い、ベクトル検索で意味的連続性を補完することで、初めて横断的な理解が成立します。これは、単一検索方式では実現できない領域です。

スタンフォード大学の法的AI研究でも、検索段階での情報欠落は、その後どれだけ高度な推論モデルを用いても回復できないことが指摘されています。ハイブリッド検索は、規程横断理解の「入口」を保証する技術であり、AIが正しく考えるための前提条件を整える役割を担っているのです。

根拠提示を支えるHalluGraphという監査フレームワーク

HalluGraphは、根拠提示を形式的な引用表示にとどめず、回答そのものが論理的に正当かどうかを監査可能にするためのフレームワークです。従来のRAG評価は、参照テキストとの類似度や表層的一致に依存していましたが、法務・規程解釈の文脈ではそれだけでは不十分でした。条件語の違いや義務と裁量の取り違えといった微妙な差異が、実務上は致命的になり得るからです。

スタンフォード大学などの研究チームが提案したHalluGraphは、テキストではなく知識グラフ構造の整合性に着目します。具体的には、参照文書、ユーザー質問、生成回答の三者から即時にグラフを構築し、それらが構造的に整合しているかを検証します。これにより、もっともらしく見えるが根拠を欠く回答を体系的に排除できます。

検証観点 内容 検出できるリスク
エンティティ・グラウンディング 主体、金額、日付、条文番号などが原典に存在するか 架空条文・数値の捏造
関係性保存 主体間の義務・権利関係が一致しているか 義務と裁量の逆転、条件の誤結合

この二層構造の監査により、HalluGraphは構造的ハルシネーションと呼ばれる高度な誤りを検知できます。これは、個々の単語や条文は正しいものの、それらの結び付き方が誤っている状態を指します。法務担当者が最も警戒するタイプの誤りであり、従来手法では見逃されがちでした。

実験結果も注目に値します。契約書ドメインでの検証では、HalluGraphはAUC0.979という極めて高い識別精度を示しました。スタンフォードの報告によれば、これはランダム推測に近い水準にとどまっていた従来の類似度ベース手法と比較して、実用性の次元が異なる成果です。AIが誤るかどうかを、人が読む前に機械的に判断できる点が決定的な価値となります。

実務設計において重要なのは、HalluGraphを「回答後の最終チェック」として位置づけることです。信頼度スコアが閾値を下回る場合は、回答を返さず原典提示のみに切り替える、あるいは人間確認を促すといったフェイルセーフが可能になります。これにより、AIは常に支援者の立場を保ち、判断主体は人間に残されます。

結果としてHalluGraphは、根拠提示を単なる説明責任ではなく、システム全体の信頼性を数理的に担保する仕組みへと引き上げます。社内規程解釈のように誤りが許されない領域では、この監査レイヤーの有無がAI導入の成否を分ける現実的な分岐点になりつつあります。

CiteFixによる引用精度向上とUX設計の変化

引用精度の向上は、単なる正確性の改善にとどまらず、ユーザー体験そのものを再設計する起点になっています。CiteFixは、生成後の回答を事実単位で分解し、引用の妥当性を再検証・修正するポストプロセス技術として注目されていますが、その本質的な価値は、ユーザーがAIの回答をどのように「信頼し、使うか」というUXの変化を引き起こした点にあります。

従来のRAGシステムでは、引用が付いていても「本当にこの条文に書いてあるのか」を確認するために、ユーザー自身が全文を読み直す必要がありました。スタンフォード大学の研究者らも指摘しているように、引用が誤っている場合、ユーザーはAI全体への信頼を一気に失います。CiteFixは、引用精度を約15.46%向上させたと報告されており、この数値以上に重要なのは、確認コストを大幅に下げた点です。

引用が正しいかどうかをユーザーが疑う時間を減らすことが、UX改善の核心です。

UX設計の観点で特に大きな変化が、「インライン引用」の標準化です。主張の直後に引用が配置され、マウスオーバーやタップで該当条文を即座に確認できる設計は、PACA@kという指標の普及とともに定着しました。これにより、ユーザーは回答全体を精査するのではなく、「気になる一点だけ」をピンポイントで検証できます。この体験は、検索エンジン的な使い方から、意思決定支援ツールとしての利用へと行動を変えています。

また、CiteFixが軽量なSLMを用いて検証を行う点も、UXに直結しています。推論時間が延びると、どれほど正確でも「待たされるAI」は使われません。最大12倍のコスト効率改善という報告は、単なる運用メリットではなく、リアルタイム性を前提とした対話UXを成立させる条件を満たしたことを意味します。

観点 従来の引用付きRAG CiteFix導入後
引用の正確性 条文違い・存在しない引用が混在 事後検証により自動修正
確認コスト 全文確認が必要 該当箇所のみ即時確認
応答速度 高速だが信頼性に不安 高速性を維持しつつ高信頼

さらに重要なのは、UXが「正しさを疑う前提」から「正しさを前提に検証できる」状態へ移行した点です。ユーザーはAIを全面的に信じるわけではありませんが、引用が正確であるという前提があることで、判断の起点として安心して利用できます。これは法務省ガイドラインが求める「支援」と「判断」の分離とも整合的であり、AIが判断材料を提示する存在として自然に受け入れられる土壌を作っています。

結果としてCiteFixは、バックエンドの精度改善技術でありながら、フロントエンドのUXを規定する存在になりました。引用精度の向上は、単なる品質指標ではなく、AIを業務インフラとして定着させるための体験設計そのものを変えるレバーになっているのです。

Time-Travel RAGで実現する最新性と過去時点の両立

Time-Travel RAGは、AIが常に最新情報を参照しながら、同時に過去時点の知識にも正確にアクセスできるようにするための設計思想です。社内規程や法令の解釈では、現在有効なルールを答える場面と、過去のトラブル発生時点のルールを確認したい場面が混在します。**この二つを同一システムで安全に両立させること**が、2026年時点での実務要件になっています。

従来のRAGでは、ドキュメントが更新されるたびに古い情報が上書きされ、時間軸の概念が失われがちでした。その結果、「当時は適法だったか」という問いに対して、現在の規程を前提にした誤った回答が生成されるリスクがありました。Time-Travel RAGでは、各チャンクに有効開始日と終了日、バージョンIDといったメタデータを付与し、検索時に時間条件を必須パラメータとして扱います。

MilvusやElasticsearch、Azure AI Searchなどの主要ベクトルデータベースでは、この時間条件付きフィルタリングが標準化されています。Milvusの設計ガイドによれば、論理削除とバージョン管理を組み合わせることで、**監査証跡を保持したまま検索対象だけを切り替える**運用が可能とされています。これにより、LLMのコンテキストに無効な規程が混入する事態を防げます。

観点 通常のRAG Time-Travel RAG
時間指定検索 不可または限定的 任意の過去・現在時点を指定可能
規程改定への対応 上書き更新が中心 バージョンを保持した差分管理
監査・訴訟対応 再現性が低い 当時の状態を正確に再現

重要なのは、最新性を担保するためのリアルタイム更新パイプラインと、過去情報を守るための「忘却しない設計」を同時に実装する点です。DatabricksのRAG解説でも指摘されているように、イベント駆動型で差分インデックスを更新し、検索時にベースと差分を統合する構成は、ダウンタイムとコストを抑えつつ即時反映を実現します。

さらにTime-Travel RAGは、ハルシネーション対策とも密接に関係します。**時間的に無効な情報は、それ自体がハルシネーションの温床**になり得るからです。検索段階で厳密に時点を限定することで、生成モデルが「もっともらしいが古い答え」を作る余地を減らせます。この点は、スタンフォード大学の法務AI研究でも、正確性向上の前提条件として強調されています。

結果としてTime-Travel RAGは、単なる便利機能ではなく、法務・コンプライアンス領域における信頼性の基盤となります。**いつの時点の真実を語っているのかを明示できるAI**は、専門家にとって初めて実務で使える存在になるのです。

日本における非弁行為リスクとAI設計の考え方

日本でリーガルAIを設計する際、避けて通れないのが非弁行為リスクです。弁護士法第72条は、弁護士資格を持たない者が報酬目的で法律事件に関する鑑定や代理を行うことを禁じています。AIが高度化するほど、この線引きは技術課題ではなく設計思想の問題になります。

法務省が2023年に公表したガイドラインでは、AIはあくまで支援にとどまり、最終的な法的判断は人間が行う構造であれば、直ちに違法とはならないと整理されています。2026年時点ではこの運用が定着し、企業はAIをアドバイザーではなくアシスタントとして位置づける設計を採用しています。

非弁行為リスクは「何を答えるか」ではなく「誰が判断したと見えるか」で決まります。

この観点から重要になるのが、UIと出力制御です。例えば、断定的な結論表現や個別事案への適法・違法判断をAIが直接示すと、利用者には鑑定と受け取られかねません。一方で、条文や社内規程の該当箇所を提示し、論点を整理するだけであれば、支援の範囲に収まります。

設計要素 リスクが高い例 推奨される設計
回答表現 「違法です」「無効です」 「該当条文では〜と規定されています」
判断主体 AIが結論を提示 人が確認・判断する前提を明示
根拠提示 根拠なしの要約 条文・判例へのインライン参照

スタンフォード大学の法とAI研究でも、利用者がAIの出力を最終判断と誤認する設計は、法的・倫理的リスクを高めると指摘されています。だからこそ、GraphRAGやHalluGraphのような根拠可視化技術は、精度向上だけでなく非弁行為対策としても機能します。

実務で先行するリーガルテック各社も、必ず原典確認を促す導線を組み込み、AIの回答に信頼度や注意喚起を付与しています。これはUXの工夫であると同時に、法的リスクを構造的に低減する仕組みです。

日本におけるリーガルAI設計の本質は、賢いAIを作ることではなく、賢く使われる前提を作ることにあります。非弁行為リスクを理解した設計は、結果としてユーザーの信頼と長期運用を支える競争力になります。

国産LLMとリーガルテックが担う実装基盤の現在地

国産LLMとリーガルテックは、2026年現在、日本企業における社内規程解釈AIの実装基盤として明確な現在地に到達しています。特徴的なのは、モデル性能の競争ではなく、法務実務に耐える運用設計まで含めた「統合基盤」として評価されている点です。単体のLLMを導入するだけでは価値は生まれず、リーガルテックと結合した形で初めて実装可能性が現実解になります。

国産LLMが支持される最大の理由は、日本語法令・社内規程特有の曖昧さと厳密さを同時に扱える点にあります。NTTのtsuzumiは軽量モデルとしてオンプレミス運用が可能で、機密性の高い規程を外部に出せない企業での採用が進んでいます。NECのcotomiは長文コンテキスト処理に優れ、複数規程をまたぐ推論を前提としたRAG構成と親和性が高いと評価されています。デジタル庁のガバメントAI公募でも、こうした日本語特化モデルの実装力が重視されています。

基盤要素 国産LLMの役割 リーガルテック側の補完
日本語理解 法令・規程表現の高精度解釈 条文単位での構造化管理
推論の安全性 ハルシネーション抑制設計 根拠提示・監査ログ
運用更新 モデル差し替えの柔軟性 規程改定トリガー連携

一方で、実装の主戦場はリーガルテック側にあります。MNTSQやHubbleのような契約・規程管理基盤は、単なる文書保管庫ではなく、GraphRAGやTime-Travel RAGを前提としたデータ供給層へと進化しています。規程間の参照関係、改定履歴、有効期間といったメタデータが整備されているため、LLMは「考える」ことに専念でき、誤答リスクが構造的に抑制されます。

スタンフォード大学の法的AI研究でも、モデル単体の精度より、検索・検証・更新を含む実装基盤全体の設計が信頼性を左右すると指摘されています。これは日本市場でも同様で、国産LLM+リーガルテックという組み合わせ自体が、一種のリファレンスアーキテクチャとして定着しつつあります。実務現場では「どのモデルを使うか」より、「どの基盤にどう組み込むか」が競争力の源泉になっているのが現在地です。

失敗事例と成功事例から学ぶ実装ロードマップ

失敗事例と成功事例を比較すると、社内規程解釈AIの実装成否はモデル性能よりも設計順序と運用思想に強く依存していることが見えてきます。特に2023〜2024年に多く見られた失敗は、PoC段階の構成をほぼそのまま本番展開してしまった点にありました。

典型的な失敗パターンは、Naive RAGを前提に「とりあえずチャットボットを置く」アプローチです。スタンフォード大学の法務AI評価でも、法的質問の約6件に1件以上でハルシネーションが確認されており、根拠提示や最新性管理が弱いシステムは一度の誤答で利用停止に追い込まれやすいと報告されています。**期待値を先に上げすぎ、信頼設計を後回しにしたこと**が最大の失敗要因です。

観点 失敗事例に多い設計 成功事例に共通する設計
検索方式 ベクトル検索単独 ハイブリッド検索+GraphRAG
根拠提示 文末に参考条文を列挙 主張単位でのインライン引用
最新性 上書き更新のみ 有効期間付きバージョン管理

一方、成功している企業は段階的な実装ロードマップを明確に描いています。ユニクロやJALの事例に共通するのは、**最初から万能回答を目指さず、定型かつ高頻度の問いに限定して信頼を積み上げた点**です。回答には必ず条文や規程名を紐づけ、ユーザーが原典を即座に確認できるUXを優先しています。

技術的には、初期段階ではGraphRAGまで踏み込まずとも、条文単位の構造化とハイブリッド検索を先に整えることが重要です。MicrosoftやNeo4jの調査でも、構造化メタデータを付与しただけで回答の包括性が大きく改善することが示されています。ここで重要なのは、**後から高度化できる前提でデータ設計を行うこと**です。

成功事例に共通するのは「精度向上→検証→自動化」の順序を守っている点です。最初から自律化を狙うと、修正不能な誤りが蓄積します。

次の段階で、HalluGraphやCiteFixのような事後検証レイヤーを追加します。HalluGraphはAUC0.979という極めて高い精度で構造的ハルシネーションを検知できると報告されており、「自信度が低い場合は回答しない」というフェイルセーフ設計を可能にします。これにより、AIは判断主体ではなく支援主体であるという立ち位置を明確にできます。

最終的に運用フェーズでは、Time-Travel RAGによる時間軸管理と、現場担当者が更新できるノーコード運用が鍵となります。SmartHRの事例では、規程更新と連動した自動再学習により問い合わせが約20%削減されたとされています。**成功するロードマップとは、技術の新しさではなく、信頼を壊さない進化速度を設計すること**に他なりません。

参考文献